誰もやりたがらないことを、やり続ける。大手企業を辞め、老舗企業を継いだ社長の決意と挑戦。

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誰もやりたがらないことを、やり続ける。大手企業を辞め、老舗企業を継いだ社長の決意と挑戦。

更新日更新日:2023.5.1

公開日投稿日:2023.3.23

目次

江戸時代から330年続く、柴沼醤油醸造株式会社の18代目・柴沼秀篤さん。新卒で就職した大手食品会社を辞め、家業を継ぐことを選択。

今では積極的に海外進出し、新規事業も手がけ成功を収めておられます。どういった想いで老舗企業の道を選んだのか、なぜ生き残りが厳しい業界で事業を発展させられたのか。柔らかなお人柄から垣間見える熱い想いを詳しくお伺いします。

柴沼秀篤さん

柴沼醤油醸造株式会社についてお聞かせください。

柴沼醸造株式会社は、茨城県土浦市にある醤油醸造の蔵元です。1688年に創業しました。江戸時代から代々柴沼家の長男が社長を継ぐという風習を守ってまいりました。

私で18代目になります。弊社では伝統的な木桶で熟成発酵させる醤油づくりを踏襲してきました。

木桶は百年以上使うことができます。そして木材の表面に微生物がすみつき、その微生物が気候風土や月日の積み重ねで独自の変化をとげ、その蔵元にしか出せない味わいや風味を醸し出します。

現在では費用対効果が悪いことで、木桶を使う企業は少なくなっていますが、弊社では自然のちからを借りた伝統製法を大切にしています。

*柴沼醸造株式会社のHPはこちら

過去の経歴と今の活動内容を教えてください。

東京農業大学醸造学科(日本では唯一の学部)を卒業後、大手食品会社に就職しました。そこでは営業を学び、父の体調不良がきっかけで29歳の時に家業を継ぎました。海外からのオファーで広がりを見せた輸出業を本格的にするため、2017年に分社し株式会社柴沼醤油インターナショナルの代表取締役社長に就任。

現在は62か国に輸出し、1年の半分を海外出張して直に現地の人や文化に触れています。また輸出業以外にも食品輸出のコンサルティングをしています。実はこの会社とは別に自分で会社も立ち上げました。そちらでも新たな試みをしています。

初めから家業を継ごうと思っていましたか?

実は高校生までは継ぎたくないと思っていました。なぜたまたまこの家の長男に生まれただけなのに将来が決められているのか。反発していましたね。両親に強制されたことはありませんがずっと続いてきた伝統なので、継ぐことが当たり前だと周りからも期待されていたと思います。

でも「他のことで結果を出せば継がなくてもいいだろう」と思い、当時テニス部に所属していたので頑張って全国大会に行きアメリカの大会に日本代表として出場しました。

しかし、そこで、体の大きさやパワー、スピードの違いを目の当たりにして。有名でもなんでもない選手のサーブが取れない。これはテニスで生きていくのは無理かもしれないと思って大学は家業にも役立つかもしれないと醸造学科に行きました。大学はたまたまテニス部も強かったので続けることもできました。

いざ就職となったときは、続けてきたテニスを活かしてスポーツブランドの会社にするのか、食品会社にするのか迷いましたね。頭の片隅で、もしかしたら家業を継ぐかもしれないからと大手の食品会社を選びました。

まだこの時点では確実に継ぐとは思っていませんでした。

食品会社から柴沼醤油醸造株式会社

継ぐと覚悟を決めて自社にきたのは29歳の時でした。父の病気がきっかけで引き継ぐことになりました。

会社を引き継いだときのポジションはどうでしたか。

執行役員営業本部長として柴沼醬油醸造に戻りました。

営業本部長に着くときの不安やついてからの驚きはありましたか。

最初に就職した食品会社は大手だったのでいろんなシステムが整っていましたし最先端でしたが、「蔵」はそうではありませんでしたから、営業以外にもマーケティングや他の仕事もすべて自分でやる必要がありました。

そのおかげで一連の仕事の流れを勉強できましたが。

しかも、国際レベルの基準に準拠した製造・品質管理が行き届いた、とてもクリーンな環境から蔵という俗人的な世界に来ました。蔵はもちろんエアコンはないので夏は暑いし冬は寒い。今まで大手の食品会社では、恵まれた環境で仕事ができていたんだと実感しました。

また昔は大家族で醤油一升瓶をつかって煮物を作っていたような環境でした。でも洋食文化が根付くにつれ、そういった風習はなくなり、今はほとんど家で煮物なんか作らない。蔵という伝統をどうやって残していけばいいのだろうという課題を目の当たりにし、どうしたものかとおもいましたね。

柴沼秀篤さん

2010年から海外展開をされていますが至った経緯、面白いこと・苦労を教えてください。

食文化の変化でしょう。販売する数は減少するけれど醤油は単価をそこまで上げられるものでもなく、売上がじわじわと下がっていくことに危機感を覚えました。しかし社会の流れに逆らうことはできずどうしたらいいのかと頭を悩ませていました。

そこにオーストラリアのある会社から、今でも木樽を使った昔ながらの醸造方法をとっている柴沼醤油醸造株式会社のことを調べて取引のご連絡をいただきました。

日本も今ではタンクでの醸造がほとんどです。安定した品質を大量生産できるからです。木樽での醸造は品質にばらつきがあります。それがオリジナルな風味となるのですが、管理も大変なため今はかなり減ってしまいました。

最初は輸出の知識もないし断ろうとしましたが、その会社の方がオーストラリアからわざわざ蔵をたずねてきてくれました。それならば期待にこたえたいと思いましたし自社の生きる道を模索中だったので、藁にもすがる思いで翌月メルボルンに行きました。

実は1200以上もの日本食レストランやテイクアウト寿司がありました。海外旅行では絶対に食べないであろう海外の寿司を、どさ回りのように一軒一軒食べまわり現地の様子を見ていきました。そこからは輸出の可能性を感じ毎月のようにオーストラリアに行っては日本食店を回り現地の声を聴きながら柴沼醤油を紹介していきました。

「オーストラリアの国よりも歴史の古い店」ということが彼らには信じられないことのようで、興味津々に話を聞いてくれました。老舗として生きる道はこれだと思い、当時競合が少なかったうえに伝統を重んじるヨーロッパは相性が良さそうだと思い展開していきました。

もちろんすべてうまくいったわけではなく、海外は予想外のことも沢山ありました。醤油のサンプルが入った大きなスーツケースを盗まれてしまったり、文字が読めずそこが店なのか何なのかが全く分からなかったり。電車がこないバスがこないは当たり前にありますし、命の危険を感じたことも多々あります。

とんでもない経験をして生きる力を養えたこと、改めて日本は安全安心で素晴らしい国だなと感じます。

今のご職業を一言で表すと、どんな言葉になりますか?

世界の日本食を支えるもの、本物を伝えるものですかね。

今のご職業の魅力を教えてください

日本の文化を底支えしていることに魅力を感じていますし誇りをもっています。

日本食が世界で認められるようになり、どんどん他の国でも取り入れられるようになりました。それはとても微笑ましいことです。

ただ、安価にするためにクオリティが保たれないことがあったり、本物だからとすごく高価になってしまったりして二極化している現実があります。

こういった文化の流れの中で、柴沼醤油醸造株式会社は、クオリティを保ちながらも現地の食材で提供しやすい日本食を味わっていただけるように尽力しています。本物のジャパンクオリティを身近に感じられる日本食を、柴沼醤油を介してお届けするというところにこだわっています。

代表取締役としていま大切にしていること・考え・価値観(=テクニック)を教えてください

代表自らが現地に出向き、その土地や人に触れて直に伝えることだと思っています。

「おいしい」という感覚は本当に適当なもので、そのとき誰と食べていたのか、どんな環境でどんな話を聞いたかで変わってしまうものです。だからこそ現地で人に触れあって空気を感じるのが大事だと思います。

今や日本食は世界でもかなり認知され、健康的だ、繊細な味だと絶賛されています。しかし現状は、外国にある日本食店のほとんどが日本人による運営ではなく、日本に一度も来たことのない外国人の方が見様見真似で「日本食」とうたっていることが多いのです。

現地の方に愛されるようにアレンジされるのは素晴らしいことだと思います。ですが本物を知ってアレンジすることと、知らずに独自の観点のみで提供するのとでは雲泥の差があります。後者では本来の日本食のすばらしさが伝わったことにはなりません。

また、日本でしか手に入らない食材も中にはあります。そういった食材に頼ってしまうと営業を続けるのが難しいため、現地で調達できる身近な食材を使っていただきながら本物のジャパンクオリティを再現する。

柴沼醤油という調味料を通してだからこそ本物を伝えることができると信じて、地道で途方もないのですが直接現地に足を運び人に会い、コミュニケーションをとることで実現しています。

通用しないテクニック、きれいごとのノウハウはありましたか?

現地に足を運ばない、実際に現地の人に触れないことは通用しないですね。

国も補助金や助成金を導入して輸出を推進していますが、今輸出に力を入れている食品会社が本当に沢山あります。しかし大半が現地を見に行こうとしません。

確かに便利な時代です。オンラインで相手の顔を見ながら話すことができてしまいます。しかし食というものは生活そのもの。食べた人の表情、誰と食べるのか、現地の生活を見て、現地の人々に触れあって初めてどんなものが必要とされているのかを感じることができます。それは言葉だけでは感じ取れません。

もし輸出業で成果を出したいと考えるならば、手間を惜しまず現地に足を運んでほしいと思います。

今後の目標がありましたら教えてください。

地域の産業の掘り起こしです。

地方にもこんなにおいしいものがあるのに!と思うものでもちゃんと広める活動ができていないことが多いので、そのような地場産業を手がける中小企業にコンサルティングで入らせてもらって救いたいですね。

大手と違って中小企業は、事業を発展させていこうとする意識が薄いと感じます。そしてそこに対する危機感もあまりありません。昔ながらのやり方を踏襲して時代に合わずじわじわと追い詰められていく。

ではどうするのか。私は海外への進出を選びました。大手にはできない柔軟さと持ち前の営業力とを掛け合わせることで、今62か国の日本食レストランや日本食材を取り扱うお店に柴沼醤油を届けることができています。

柴沼醤油は伝統を守るために常に新たな挑戦をしてきました。変わることを恐れなかったことで、事業を発展できたのだと思います。そして柴沼醤油を求めてくださるお客様には必ず自分の足を使って直接届けたいと動いたことで、海外に商品を売るノウハウがたまりました。そのおかげで現在は輸出に関するいろんなご相談を受けています。

職人気質で品質にこだわり良い商品をもっている企業が数多くあります。自社の経験や知識を活かし、地域の産業を広めていきたいです。

独立を考えている人へのメッセージをお願いします。

実は独立するって聞くとずっとうらやましいなと思っていたんです。私の場合は家業でしたから独立ではありません。IPOするってなに?そんな感覚がなかったのでうらやましかった。

しかし海外進出という新しい挑戦とともに株式会社柴沼醤油インターナショナルとして、家業の子会社としてではなく独立を選びました。実は小さいながらも、自分の事業として「きのか蔵株式会社」も立ち上げています。

「きのか蔵株式会社」は、中学校からの同級生の友人3名と立ち上げた会社です。発酵の素晴らしさを世界に発信すべく素材や健康にこだわる商品づくりをコンセプトとしています。

これから起業する方はぜひ誰もやらないことをやってください。誰でもできることは参入障壁が低いのでそれだけライバルも多くなります。そして小さいからこそできることをやってください。人がやりたがらないことをやり続けること。行動しまくるとその先に光が見えてきます。

私も海外進出の第一歩はオーストラリアに行ってみることでした。自分の足で見て回って、重たい醤油をスーツケースに入れて運んで直に伝えた。だからこそ柴沼醤油の良さが伝わったのだと思います。結局ビジネスも人対人です。熱量はちゃんと伝わります。

私は75か国もの国を渡り歩きましたが、誰もそんなリスクはとらない。でもそのおかげで海外進出はどうしたらいいのかというノウハウを、他の企業様にお伝えすることもできています。

人がやらないことを愚直にやる。あなたの第一歩を応援しています。

柴沼様、貴重なお話をありがとうございました。株式会社柴沼醤油さまの今後の益々の発展を応援しています。

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DokTech編集部
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